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筑紫紀行

十三日〈○享和元年四月、中略、〉くだ松の駅〈○周防〉にいたる、〈島田より此迄二里〉一里余りの入海の辺なり、この入り口より二町許り此方に、とゆひといふ塩浜あり、此迄の塩浜は、船にてよそにのみ見つゝ通ければ、珍しくて、よく見聞きするに先渚の方に塩焼共の家三四十見え、大道より浜手へ向けて土手お築て、数百反計の地お平に概して、それに砂おふり散し、さらへにてならして、其上に夕お汲かけて日に干す、是等皆女の業なり、かくて其砂おかき寄せて、大なるへつひの様なる所に入て、其上に又夕お汲かけて、灰汁おたるゝ様にして、其垂たるお塩釜に汲入てたくなりと、