[p.0831]
浅井三代記

浅井大津の浦より塩お買取事かくて敵寄来らざれば、十一月中旬〈○永正十三年〉までに、小谷城中堀塀柵不残丈夫に拵へ、味方領分の年貢米等納取、城中へこめられ粮沢山なり、其上上坂の城より武具馬具等まで、悉く運び取ければ、一年二年籠城せしむとも、兵粮米秣等にとぼしき事あらじと悦びたまひけるが、是に難儀せしは、塩城中に不足なり、いかゞ有べきと僉議せられて宣ひしは、宮川左兵治兵衛筧助左衛門尉は、両人して今浜近辺にて売人近付可有之間、才覚いたすべしと宣ひければ、両人今浜の商人に賄おつかはし頼可申、畏候とて大津の浦へ行、塩二三百俵買取候へども、著岸の便おだやかならざれば、此塩は何方へうり申などゝ、とがめられてはいかゞと思ひ、右の塩お箱に入替へ、呉服櫃に事よせ、小舟五六艘に取乗、舟長に心お合せ、中浜といふ所へつけ、それより川船にのせ、馬渡川お心ざし、丁野村へ可著と相巧み、〈○中略〉丁野川原へ付、則助左衛門尉左治兵衛尉両人、小谷に籠りいる故、此旨注進したりければ、夜の間に小谷へ運び入る、