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蒹葭堂雑録

信州松本の城は、いにしへ武田信玄の居城にして、深瀬の城と号せし所なりとぞ、当時例年正月十一日、塩市(○○)といふ大法会あり、生土宮村大明神の社司、当日市神〈或は塩市大明神と雲〉と号し、城下の市中に社壇おかざりて、神事お執行ふ、遠近よりこれに群参して賑へるゆへ、観物放下師など火く有て、隣国に無双紋日なり、然るに亦城下の富家よりして、塩お些づゝ紙につゝみ、参詣の多勢に施す、おの〳〵是お受得て家土産とし、或は神棚に供ふ、此事往昔より有て、其初ること最久しとぞ、里人伝へて雲、往昔戦国の折から、敵方よりして当国へ塩運送の道お塞ぎ、国兵お苦めんとす、さる程に自から塩乏しく漸に尽て、国兵しば〳〵気力お失ひ、幾難儀に及べり、然るに隣国の好みお以て、越後の長尾謙信より塩お運送す、国兵これに力お得て戦ひに敗せず、頗る勝利お得たりとぞ、その吉例によつて、後世にいたりても尚塩市と号して、是お祝ふものなりと聞ゆ、実(げに)塩は五味の中にして、一日も欠べからざるものなり、