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東雅
十二飲食
醤ひしほ 倭名抄に四声字苑お引て、醤は豆醢也、ひしほといふ、別に唐醤ありと注したり、ひしほといふ義は不詳、楊氏漢語抄弁色立成には、高麗醤おみそといひ、漢人の書にも、雞林にしては、醤お蜜祖といひ、我国にしても醤お弥沙(みそ)といふとしるしたれば、みそといふものゝ醤なりし事は、疑ふべくもなし、醤またひしほといふ事の如きも、みそといひしに異なる詞也とも聞えず、ひといひ、みといふは転語也、しほといふは、即そといふ語お開き呼びし也、たとへば芭蕉紫苑などいふものゝ如き、漢音おもては、ばせう、しおんなどいふお、我国之語には、ばせお、しおにといふが如くに、其初は高麗醤の如きも、彼国の方言にてはみそといふお、我国之語には、ひしほといひしお、後に又唐醤の製に効ひ、造れるものゝ出来しに及びて、高麗醤お呼ぶ事は、彼国の方言のまゝに、みそといひ、我国にて造れる物おば、ひしほといふ事になりしかば、令の如きも、みそといひ、ひしほといふ事お分つべきために、未醤の字お用ひて、読でみそとなし醤の字読でひしほとはなされたる也、これよりして後みそといひ、ひしほといふ事、異なる詞の如くになりてければ、順の博識なるも猶其疑お致しける也、〈今の如きも、俗には醤お呼びて甘味噌とも雲ひ、又味噌といふ言おもて加へ呼ぶ醤の製も少からぬ也、〉