[p.0883][p.0884]
槐記続編
享保十七年十一月十三日、参候、昨日仰付られし〈○近衛家熙〉砂糖と雲ものは、本西域の制にして、大唐え渡りたるも遠からぬやう也、本綱などに出たる趣お、考え申すべきの由也、今日参上、本綱の趣も本唐のものにあらず、西戎の制なるお、唐の太宗のとき、使お遣して習はされし由也、出処もなく時珍が説也、甘蔗汁のことは、外台秘要に出たるは、唐より伝りたること、疑なきもののやうなれども、甘蔗汁とばかりにては、砂糖のことは究はめがたき由お申し上ぐ、〈即本綱御覧に入〉なるほどこれにて猶なること也、悉伽羅経と雲ものにくはしく出たり、これなればいかう古きもの也、西域の制と雲も猶なりと仰らる、日本へは何時分に渡りたるにやと申し上ぐ、仰にこれはいかふ近きこと也、やう〳〵太平記時代前後とみへたり、鎌倉の将軍より天竜寺の義堂に、小壺に入て贈られしお、特に重宝せられし由也、それより後広くなる、禁中の式にもそれまでは、やうやうあまづら、あめのみ也、砂糖のこと古式にみへずと、