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平賀鳩渓実記

平賀源内大坂にて評判の事♯源内は大坂へ出張して、富貴の町人へ心易出会せしが、或時中島屋喜四郎といへるものへ申けるは、我等事讃州出生にて、若年にて所々遍歴して、国数は見ずといへども、西国の地理は尽せり、然るに備後国の土地お見るに、砂糖には最上の土地なり、貴殿には砂糖商売の事なれば、定て土地の善悪は御存知なるべしと、風と物語りしければ、喜四郎申けるは、猶砂糖の上品は兎角漢土でなければ宜しからず、日本製の砂糖は甘味薄くして上白の色なし、甚だ下品也と雲、源内申けるは、左もあるべし、猶ながら砂糖の土地は砂場が上品なり、然るに南京の土地は砂場少し、しかれども砂糖においては至極上品なり、左すれば土地計にてもなし、養ひ方第一なり、土地の宜しき方お見立、砂糖お植付養ひ方お法の通りにいたさば、日本にても上品の砂糖出来すべきは必定なり、其許其志しあらば、備後国にて田地お求め、砂糖お植付給ふべし、我等製法すべし、上品の砂糖出来なば大なる利益なりと申ける、喜四郎富る人なれば夫は安き事なり、幸ひ備後の国には我等遠縁のものあり、早速畑おもとむべしと、飛脚お以て申し遣しける、備後にては様子は知らねども、急ぎ能畑地お求て、喜四郎方へ知らせければ、喜四郎は源内へしか〳〵の物語りして、旅用意して源内と同道して備後の国へ赴き砂糖お植付ける、源内は喜四郎へ砂糖の養ひ方お伝授して、所々一見して又大坂へ戻りける、これ全く喜四郎へ利徳お付て、金銀お自由に為すべき階梯なり、砂糖の製法左に記す、♯鳩の糞 蜜お交四五日置、日に干て細末にして、砂糖お植べき砂へ交て栽るなり、♯甘草 砂糖の木二三寸も延たる時分、水にとき根に県る事、毎日二三度、三十日計如此すればよし、♯右のごとく製法して、能々小石お拾ひ出し、其上にて毎日夕方水少しづゝ根へ懸る也、扠喜四郎は源内が砂糖の伝授お得て、程なく砂糖成就したり、其味実に蜜の如く、色は太白にして、渡り砂糖に少も相違なし、〈○下略〉