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庖厨備用倭名本草
七果
沙糖♯元升曰、唐宋の間に沙糖お日本に渡さヾりけるにや、和名抄に沙糖なし、蕃舶はじめて沙糖お載せきたりしより、年々渡り来りて絶ることなし、其の白沙の如くなるお、俗にしろざたう(○○○○○)と雲、はなはだ白きお、俗にたいはく(○○○○)と雲、石の如く氷の如くなるお、俗にこほりざたう(○○○○○○)と雲ふ、紫黒色なるお、俗にくろざたう(○○○○○)と雲、黒ざたうに子ばるあり、子ばらざるあり、子ばらざるはやヽ黄色お帯たり、子ばるには蚌灰(かきのはい)おまじへてこりかたむ、しやむらうより来るおきりざたう(○○○○○)と雲、紫黄色の沙糖おつく子かためて、切て餅の形の如し、其の味子ばる黒沙糖より鮮美なり、