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守貞漫稿
五生業
平野町唐物問屋♯唐及和蘭来舶の諸品は、長崎にて官市也、長崎にしやうにんかたと雲あり、商人方也、賈人ありて入札にて官にて買之、其諸物全く大坂問屋に贈る、問屋は其品の中買に売るに、売出し、買出し、入札、直組、其他種々の賈法あり略之、又京江戸にも漕し来る又薬種数品中の員数多き物と、砂糖釷丹藤此類に表相場と雲て、別に日価お称す、専ら売買の名のみにて空物なり、〈○中略〉表物譬ば出島白糖十月限にて今日の相場十九と雲て、廿櫃にて価銀四貫八百目にて問屋より買之、期日に至るの間、毎日の相場お考へ、いつにても再び問屋に売返し、或は利或は損ともに期日買売の間銀お出納す、若期日に至るの間に売返さヾる者は、期日の相場お以て売返し、其間銀お出納す、或は前に問屋に売り、後に問屋より買返すもあり、元来空商故に随意也、蓋問屋口せんと雲て、問屋より売るには七分、問屋へ買ふには一三の口銭お売買共に問屋に収る、〈○中略〉♯堺筋の砂糖中買及び木綿屋♯堺筋は南北の名也、砂糖中買は二百余戸あり、各皆白黒及び和製来舶ともに商ふ、大坂は砂糖中間官許也、♯北堀江郷の南河岸、南堀江郷の南北の河岸に、和製砂糖問屋及藍玉問屋あり、前に雲如く、糖も来舶は平野町辺唐物問屋に漕し、又琉球及薩の諸島産の黒糖は、当所に在る薩州蔵屋数に漕し、中間各入札にて買之故に問屋なし、文政此迄は西浜に薩摩問屋ありて、琉球産の那覇と雲黒糖は皆こヽに来り、又大島、徳の島、喜界も往々こヽに漕し、蔵やしきには、大島以下の貢物のみにて、那覇は入らざりしが、大坂町人出雲屋孫右衛門と雲人の謀にて、全く蔵邸に漕し問屋お廃す、♯堀江の問屋に漕す砂糖は、讃州阿州泉州等の産也、各産所お分ち或は兼るもあり、土州は蔵邸に全く漕す、紀州も同上と雖ども、家老の采邑に産す物は当所の問屋に漕す、〈○中略〉♯看板に幟りお立る生業あり、紺毛綿一幅文字白く染抜く也、〈○図略〉京坂にては砂糖小売店に往々用之、他賈に用之者希也、蓋砂糖はさたうと仮名書すべきなれども、皆俗人なれば図の如く〈○さとう〉かなちがひに書り、江戸にては砂糖に幟お用ひず、