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碩鼠漫筆

あひの物といふ物二種あり承応二年刊本の江戸大絵図に、あいものがしとあるは、今の小船町河岸なり、按ふにあひ物とは塩物類にて、鮮魚と干魚との間物の義なるべし、〈○中略〉今はふつに知る人なし、されど他国には乾魚ひさぐ家お、いまもあひ物屋といふ処ありともいへり、何れの国なりけむ慥におぼえず、但文安六年三月一日、中原康富朝臣記雲、晩従飯肥入道〈○註略〉有音信即向之、有暮飡、雑談之次雲、ひうお物おあい物と申、此字不審雲々、予雲、あい物とは、あきない物と雲へる事と存候、あきない物おばあい物と申候、あきないの事、商の字お可読にて候由申之処、又或者一条殿へ〈春村按に、後成恩寺禅閤兼良公なるべし、〉内々尋申て候へば、商物と可書歟之由、御返事ありと雲々、さては同事之由語了〈以上文〉とみえたれど、こは信がたき強説にこそ、