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難波江

鮓今江戸にある鮓は、延宝の頃、御医師の松本善甫と雲ものヽ新製なり、〈この家は、其後亡びたりしが、近来再び召出されて高百俵なり、〉されば世に松本鮓(○○○)と雲、彦根の鮒の鮓、尾州の鮎の鮓などは、魚と飯とおまぜて五六日も経て食ふなり、吉野近辺にて、粟の飯にて造る、二三け月もかこはるヽなり、これ等の鮓は、右より左には出来兼る故に、あきなふ者にあつらふるに、今日より幾日経て取に来給へと雲により、これおおちやれずし(○○○○○○)と雲、松本鮓は、直に出来故に、まちやれずし(○○○○○○)と雲、又早鮓とも雲なり、元来すしは上件の如く、飯と魚とおまぜて置に、日数経ればおのづからすみの出るものにて、酢お加へて製するものにあらず、鰭の字よりは、鮓の字の方よろし、字書お観てしるべし、 この一条は、亡友狩谷棭斎の説話なり、