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守貞漫稿
後集一食類
鮓〈○中略〉すしのこと、〈○中略〉三都とも押鮓(○○)也しが、江戸はいつ比より歟、押たる筥鮓(○○)廃し、握り鮓(○○○)のみとなる、筥鮓の廃せしは、五六十年以来漸くに廃すと也、筥鮓と雲は、方四寸許の下図〈○図略〉の如き筥に、飯に酢と塩お合せ、先半おいれ、醤油煮の椎茸お細かにきり納之、又飯お置き、其上に〈○中略〉雞卵やき、鯛の刺身、蚫の薄片お置き、縦横十二に斬る、横四つ、竪三つ、凡て十二軒とす、中央と四隅は雞卵焼也、白は鯛刺身、或は蚫片身也、黒きは木茸也、蓋は篗の内に入り、底は篗の外面と同くす、蓋底ともに放れ、又ともに籜お当て、飯の著ざるに備ふ、此筥の篗と均く飯お納れ、軒石お以て圧之也、押て後斬之中半椎茸お入る、故に左図〈○図略〉の如し、右の図〈○図略〉の如きお柿鮓(○○)と雲、こけらずし也、鳥貝鮓(○○○)は図と同形にて、鳥貝一種お置く、鳥貝は一筥四十八文、柿鮓は六十四文也、一軒は却て二種ともに四文、百文には必らず二種一筥宛也、雞卵以下従来極て薄くす、天保初比、心斎橋南に福本と雲る鮓店お開き、玉子刺身ともに厚さ一分半余二分もあり、従来は五厘許の厚さなる故に、衆人甚賞之、買人市お為し、容易に買得難き程也、此時より他の店ともに一変して倣之、同製すれども、福本ほどは売れず、今に至り福本お称す、福本は杉本に奉公せし由也、〈○下略〉