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守貞漫稿
六生業
鰭売又天保末年、江戸にて油あげ豆腐の一方おさきて袋形にし、木茸干瓢等お刻み交へたる飯お納て鰭として売巡る、日夜売之ども、夜お専とし、行灯に華表お〓き、号て稲荷鰭(○○○)或は篠田鰭(○○○)と雲、其に狐に困ある名にて、野干は油揚お好む者故に名とす、最も賤価鰭也、尾の名古屋等従来有之、江戸も天保前より店売には有之歟、蓋両国等の田舎人のみお専らとす、〈○下略〉