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蒹葭堂雑録

肥前国天草にて製する魚糕の形、長さ五寸余、径七八分許、細篠竹につけて、所謂蒲の穂の鉾のごとし、是こそ其始蒲の鉾に似たるよりして、蒲鉾と号し、古風なるべし、図の如し、〈○図略〉畿内にては其名のみにて、形お異にす、就中竹輪(○○)といへるもの、其形長大なりといへども、大同小異にして、大蒲鉾とも言べきものなり、是は切たる処、竹の輪切に似たるお以て、竹輪とはいふなるべし、さるお又此太き竹のごときお、二に割て半分お板につけたるお半片(はんへん&○○)といひしなり、然お後に尚蒲鉾と言ならはせしが、京師にては其名のこりて半平(はんへい)といふものあり、〈涙花にて、摺身といふもの也、〉されども真の半片は蒲鉾と言ならひて、其切たる形おも表して、蒲鉾行灯、蒲鉾窻などいふこととはなれり、其上京師にて半片と号くるものに、浪花にて葛餡おかけて販ぐに、安平(あんへい&○○)と号せり、是半片に餡おかくるよりしての名なるべし、然れども是お商者も、求めて食するものも知で過行ものならし、