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雲錦随筆

例歳極月十三日は、禁中の御煤取にして、是お御煤といふ、此日御祝として末々の者に至まで、熱壁といへるお下さる、御台所前なる庭上に鐡輪〈○図略〉お居、大釜おかけ白豆腐おたき、白味噌の摺て美くたきしお、上よりかけたる也、是お熱かべと号す、〈すべて豆腐おかべといひ、おかべといふゆへに、あつきかべといふことなるべし、〉末々の者へ、御役人より切手お下され、此切手お以て、土器師出勤の場所へ行て是お渡す、〈土器師は、畑枝村より出勤す、〉切手お受取土器一枚お渡す、此土器お以て豆腐方へ行て差出す、豆腐方土器に豆腐お入渡す、夫より味噌方に行て差出せば、味噌方味噌おかけて渡す、是お貰て銘々休息場へ持行食す、御上には青竹の串おさし、田楽にして召上らるゝと雲、いかなる所以にや知らず最古風なる御事ども也、〈○中略〉 因に雲、煤払に豆腐お食することは、古き例にや、南都春日若宮の煤払〈例年十二月廿二日〉に若宮の前なる溝に、木葉お掻集めて豆腐お串にさし、塩焼にし、社人神酒お配分し、是お肴として宴す、此豆腐お名づけて春日田楽といふ、当日御供所の大黒の像お開扉あり、里人群参してこれお拝す、