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於路加於比

香物香物は室町殿の頃より、専湯漬の膳につくる事今の如し、祗園会御見物御成記〈大永三年、義晴将軍、〉の献立に〈下略〉 御ゆづけ 、たこ、やき物、このわた、あへまぜ御ゆづけ、かうの物(○○○○)、かまぼこ、ふくめ鯛、三好筑前守義長朝臣亭〈江〉御成記〈永禄四年三月卅日、義輝将軍、〉に、〈上下略〉一総衆へ参献立、小西仕分、御湯漬二百膳、しほ引、あわびしほ、やきもの、あへまぜ、めし、かうのもの(○○○○○)、〈○中略〉自余朝倉亭御成記、〈永禄十一年五月〉文禄四年御成記〈秀吉公〉等の献立皆同じ、猶古くは四条流庖丁書〈長享三年二月、多治見備後守貞賢記、〉雲、めしの大汁にびぶつ〈美物歟〉おする事不可難、当流には有之、次にさばざら〈散飯皿也○中略〉に香物以下の物どもお盛事は、廿余年以来の事也、古は自然やきしほ山椒など少し置たる歟、勿論やきしほなど不入とも、隻さば皿おば可置也と雲々、〈上下略〉などあり、故友深川元〓雲、香物は大根の味噌漬に限る事也と、按ふに瓦礫雑考にもいわれし如く、新猿楽記の香疾(かばやき)大根とあるが、香の物と女詞にいへるが原なるべく、香お賞したる名なめるお、同人又雲、薩摩の女詞に、味噌汁おかうの水といひ、おこうおたてるなどいふお思へば、かうは羹の音にて、香は借字なるべしといへり、こは大上臘御名之事と目お題たる室町殿時代の書に、〈女房言葉の条〉一しる、しるのしたりのみそおかうの水といふとあると同じく、玄羹(げんかう)の字音にやとも思わるれど、味醤お指てたゞにかうとは称ふべからねば、かうは香々の音便として可也、〈○註略〉猶薩摩人は大根漬おのみかうの物と、今も称(いふ)よし元〓いへりき、猶延喜式に、漬菜蕪根漬、未醤茄子、醤瓜、漬糟冬瓜、漬蒜、漬蜀椒の類、程々見ゆれども、だいこんの漬たるは、載られざれば、上代にはせざりし事にや、件の女房語に、一かうの物おかうのふりとある、ふりは瓜にや、又尾張国〈海東郡萱津村〉阿波手杜なる薮の香物は、今も毎年熱田神宮二月、〈巳午祈年祭〉十一月、〈寅卯新嘗祭〉十二月、〈正月〉〈御供の料〉彼処より貢献して、此香物といふは、瓜、茄子の塩漬也、此事上代はしらず、後に引たる旧記どもお証とすれば、近昔の事にあらず、さればあながちに大根の味醤漬のみ香の物といふとは決がたくなん、