[p.1028]
橘庵漫筆
二編二
〈予〉先年泉州の水間谷へ行し事有しに、援に橘姓正統の人に、井出氏とて由緒ある人に逢り、何くれふるき物語お伝へられ、扠杣漬といえるものお出さる、普通のものならず、柚、瓜、茄子、大根、粟などの、味噌にて漬し物なり、名のおかしさに、よしおたづね侍れば、主のいえるは、大古は杣稼のもの、諸国へ、泉州紀州より出したり、いまに泉南の山谷より他に出るもの有り、むかしは、餉と此漬物とお、他日の食物に持出し也、〈○中略〉などゝ話申されぬ、その粟の香の物ぞ妙なるものなり、然ども年お経る用意するものゆへ鹹きに堪へず、其制お尋侍りしに、先味噌お搗て大体よくなれし頃、雷木(すりこぎ)にて突き、穴お明て其味噌の明し穴へ餅粟お精のまゝ詰置、三年ばかりして出せば、粟のねまりと味噌の液(しめり)と混じて、一塊の沢菴漬のごとき香の物となれりとぞ、これら実に古の制なるにや、