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比古婆衣

たゝらめの花多々良女いかなるものなるにかと、こゝろにかゝりつるに、此比源順朝臣歌集の古本の写おみるに、〈此は富士谷成章が、歌仙歌集の校本の中に見えたり、〉田の条里の形に、歌四十五首お廻らしよむべく、書とゝのへられつる中の歌に、おり〳〵ににほふたたべのうめなればおしめどかひな花のにほひや、とみえたり、〈但し単行の此集の一本には、いはゆる四十五首おなべての歌と一列に書り、其は群書類従に収めたるに、たゝべおたしへと書るは、畳字おわろく書たるか、又は彫工の失にてもあるべし、さる誤このほかにも多く見えたり、又三句うめなれや、〉今考ふるに、このたゝべは、たゝらめの急りたるにて、紅梅のことなるべし、〈○註略〉そは内膳式にみえたる多々良比売も同物にて、漬年料雑菜の条、漬春菜料の中に、多々良比売花搗三斗〈料塩三斗〉と載られたるこれなるべし、さてその多々良比売花とあるは、紅梅の花にて、搗とはそお搗とりて、塩漬にして奉る料なるべし、〈○註略〉今の俗に梅花の莟お塩漬にして、食の酊、酒の肴などにすることあり、馥気ありてめでたきものなり、しかるに其お漬て後、尋常の花の白きはやゝ黄ばみゆくお、紅梅はほころばむとせる莟のほどは、殊に紅きものなるが、さながら色あせずして、いと美麗きものなるおおもふに、〈岐蘇の駅路の民家にて、此ものおうるはしく調して売るも、むかしの製の遣れるにやあらむ、〉そのかみあるが中に、わきて紅梅おものして奉る例なりしなるべく、また此梅むかしより字音に紅梅と呼てもてはやし来るお、〈歌にさへこおばいとよみきたれり〉御饌に奉るにも、なお然申さむは、さすがにつきなければ、さらになまめかしく、多々良比責と申して奉りきたれるお、やがて式にも其名もて載られたりしものなるべし、