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嬉遊笑覧
十上飲食
江戸芝の金地院にて、毎歳正月元日より三日までの膳部は、香物生大根の輪切二お用ひしとぞ、〈今はあさ漬大根おかへ用ふとなり〉これはそのかみ軍中の学びにて、平生の事にはあらず、又日光山の強飯に出すは、生大根四五寸ばかりはすに切たるなり、是は種々の辛味お集めたる内なれば、香物にはあるべからず、後撰夷曲集沢庵和尚の歌とて、大かうのものとはきけどぬかみそに打つけられてしほ〳〵となる、続の原にいざ哀なき町中の鹿、〈峡水〉紫の糟漬軒の月すごき、〈寒風〉これは奈良づけなり、今、沢庵漬といふ香物は、その和尚の製法なりとそ、そのかみ此法お関西の国にては知らざりしと見えて、貝原が日本歳時記に、香物の製しやう多く載たれども、みな今の法にあらず、十月条に、蘿蔔〈千本〉細粃〈一石〉麹〈三斗〉塩〈二斗五升〉とあり、これにては大根百本、粃一斗、麹三升、塩二升五合なり、かくては久しく貯へがたし、其うえ重しおおく事もいはず、又法大なる蘿蔔〈千本〉塩〈三升〉入おしおかけ置て、なれたる時用、是より塩多ければあしゝ、粃麹なども入べからず、是又今の浅づけとも異なり、又法、蘿蔔およく洗ひ三日ほどほし、毎夜席おおほひ、葉に少し赤み出て後さつと洗ひ、水気なき時に漬る、大根一遍ならべ、塩お大根の少し見ゆる程にふり、其上に麹おふり、段々につけおしおかけ置べし、又右の如くつけて後、酒粕、米粃、塩おつき雑、右の大根お水にて洗ひ乾たる時つける、猶よしといへり、其頃大かたこれらの法お用ひしなるべし、