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尾張名所図会
七海東郡
薮香物〈同村(上萱津村)正法寺にて製す〉むかし萱津の里に市ありし時、近里の農夫、瓜、茄子、蘿蔔の類の初なりお、熱田宮へ奉らんとせしかども、道遠ければ、阿波手の森の竹林の中に甕お置き、〈今も猶其旧姿お存せり〉あらゆる菜疏お諸人投入れ、塩おも思ひ〳〵に撮み入れなどせしが、自ら混和して程よき塩漬となりしお、二月、十一月、十二月、彼社へ奉献せし也、是お薮の香の物(○○○○○)と名づけ名産とす、後世路傍の行人など、神供の物おも憚らずとり喰ひ、或は穢物おもほどこしければ、終に正法寺の境内にうつして、今に至る迄、熱田宮へ奉納するお例事とす、薮に香の物とはふるき言葉にて、十訓抄、〈○中略〉源平盛衰記にも、やぶにかうのものといふ事見えたり、〈尾陽雑記に雲、むかしは、正法寺大地にして、住持は東巌禅師といへり、其此、瓜、茄子、大根、小角豆、蓼やうのもの商へる人、此森の前お通りけるが、必一つ二つ此神にさゝげて通りけるお、禅師隻捨置べきにあらずとて、甕に入れ、塩お交てつけ置しより初るとかや、大方日本香の物のはじめ成べしといへり、扠吉例として此所の香のものお、二月初午の日に熱田の其品三十二おさゝげて神供とし、又十二月廿四日にも是お供ふと也、近き頃迄は、阿波手の杜の薮の中に有りけるが、あふれものゝ来りてとりくらひ、果には穢らはしきものなど取込などしける故、制しかねて、今は寺内に来り、薮の中に漬置なり雲々、〉