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古事記伝

女は〈此字常に漢文にては那牟遅(なむち)と訓、古書には伊麻斯(いまし)と訓たり、是らも悪しきにはあらねど、猶〉上代の歌どもにも多く那(な)と詠、又那礼(なれ)〈吾(わ)お吾礼(われ)、己(おの)お己礼(おのれ)と雲如く、女(な)お女礼(なれ)と雲なり、〉那兄(なせ)、那泥(なね)、女妹(なにも)、女者(なひと)、〈允恭紀に見ゆ〉女命(ながみこと)なども皆那(な)お本としたる称なり、〈○註略〉かヽれば女は、那(な)と雲ぞ本なりける、〈○中略〉さて那(な)も伊麻斯(いまし)も、後には下ざまの人にのみいへども、いと上代には然らず、其本は尊む人にもいへる称なり、〈女字お当しお思へば、其頃になりては、早く尊む方には雲ざりしにや、漢にても上古は爾女など雲称に、上下の別ちはなかりしかども、御国へ文字の渡参出来し頃は後なれば然らず、〉己が夫お女と雲ること、沼河比売の歌、又須勢理毘売の歌などに見え、建内宿禰の歌には、天皇おしも那賀美古(ながみこ)〈女之御子なり、〉と申せり、