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陰徳太平記
十六
元春娶熊谷信直之女事
毛利元就、児玉三郎右衛門就忠お、て、吉川伊豆守、森脇和泉守より、冗春妻女の事お願ふ、誰やの人の娘か昏姻お可結、好述も哉と思案お回すに、指当て思設る所なし、女先元春の内意お伺聞候へと宣ければ、就忠畏て、軈て元春へ参てかくと申ければ、元春聞給て、吾妻女に望みなし、兎にも角にも、元就公の仰にこそ従はめ、作去吾心に任すべしと御内意お承る上は、胸裏お非可残、吾所望は熊谷信直の嫡女也、就忠承て、仰の趣元就公へ可申にて候、作去信直の嫡女は、世に又なき悪女也と承り及て候、若し御容色お被聞召及たらんに、近劣し給なば、御後悔や候べきと申ければ、元春莞爾笑て、吾彼が容貌美麗なると聞て、望む様に思ふらんこそ、就忠が心も恥しけれ、夫一家一国お毛治めん者は、第一に可慎は好色也、〈○中略〉我元就のに男と生れ、造次顚、沛にも武事の志しに不怠、仮令攻取戦勝の功勲お建、当世の諸将に独歩の名お得る共、厳君に比せば、猶雲壌の差や有べき、楠正儀は、当時勇将と聞えし、細川清氏、桃井直常等には、十倍せりと誉れお得しか共、父正成に準ずれば、尚未だ半徳にも及ばずと、人嘲哢すとかや、家君の武徳は正成に前歩お不恥、予凱彼正儀に企及んや、予頑愚也とても、何ぞ負荷の思お浅くせんや、今信直が娘お望むは、全容顔嬋妍なるお以てせず、渠が形色の黄頭黒面、孔明が婦にも過、傍行傴〓 、登徒子が妻にも越たりときく、され共、心行は容貌に不因、鐘離春、斉宣王の后と、成て国治り、孟光、梁鴻が妻と成て礼義あり、されば信直が嫡女形醜ければ、人是お不娶、父の歎き又何許ぞや、然に今予是お嫁せば、信直吾志お感悦して、世の人の婿よ舅よと珍重に百倍せんか、左あらば信直この志お報ぜんに、争か身命お不抛、今中国に信直に勝る士大将なし、予是お伴て元就の先陣に進まば、如何なる強敵大敵たり共、などか挫がでは有べき、然らば元就の武徳に於て、髄骨おこそ得ざらめ、皮か肉か八争か得ざるべき、信直無二の忠志お励れなば、元就の御弓精逐日て盛なるべき事、掌おさして覚えたり、是お思へば、悪女お嫁せん事、父に対して孝となり、又身お立、武名お可発謀共可成、吾何ぞ色お好み情に耽りて、婦女の択みおば成すべきやと有ければ、児玉此一言お聞て、かヽる大丈夫の志気ましますおば、露許も存知候はで、徒事お申つる事、御心裏誠に恥しくこそ候へ、げにや公は天の縦せる大丈夫の器にて渡らせ給ふ、斉の憫王は、宿瘤が一言お以て、賢女として為后給しかば、期月の問に化行隣国、諸侯朝之、侵三晋懼秦楚とかや、公も信直の息女お嫁し給はヾ、賢女内お輔けて家事お治め、勇士外に従て戦功お尽さば、武名お扶桑六十余州に震ひ給はん事、何の疑か候べき雲々の趣申候はんとて、立帰て元就へかくと申ければ、最神妙なる志也、此一言毛利吉川両家の弓矢益盛に可成前表也、元春は竹馬に策し時より、竜駒鳳雛の器ありと思しが、愚眼毫髪も不違けりと、大に悦び給、軈て信直の息女元春へ嫁娶の儀宣ければ、信直不斜喜び、婚姻の祝儀おぞ被執行ける、元春の宣し如く、自是信直元春に対し、身命お不惜、戦功お励ける故、勇将の名、衆群の上に在て、遠くは先祖吉川駿河守経基、鬼吉川と唱られし従お追、近くは実父元就の明将の名お継給ふぞ有難き、