[p.0047]
難太平記
八幡殿とは義家朝臣、陸奥鎮守府将軍の御子、義国より義康、義包、義氏、泰氏など也、〈○中略〉抑義包は、たけ八尺余りにて力人に勝れ給ひし也、誠は為朝の子と雲々、義康繦褓の上より養き、世に憚りて人に隠し給ひければ、終に知人なし、