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傍廂
後篇
大男
むかし釈迦岳雲右衛門といひし相撲は、身長七尺八寸ありしよし、我〈○斎藤彦麿〉幼き頃にてつひに見ずやみたり、その後親しく見しは、谷風梶之助源守胤といふ、陸奥宮城郡霞月村農民弥右衛門子、寛延三年八月八日出生、幼名は与四郎といふ、十九歳にて力士となり、秀の山といひ、後に伊達が関と改め、廿歳にて、谷風梶之助と改む、寛政七年正月九日死、行年四十六歳、仙台東漸寺に葬る、法名釈谷響了風といふ、身長六尺三寸余、円七尺余、四十五貫目あり、我かヽる大男お始めて見たり、終に横綱の免許あり、