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松屋筆記
百十二
長人
天保十五甲辰の冬、肥前平戸領、生付(いきつき)島の土民の子、年十八歳にて、身丈七尺四寸五分の長人、江戸に来れり、相撲人これお養て最手とせんとす、平戸侯より優名お賜て、生付鯨太(いきつきげいた)左衛門と称す、今より五六年前、筑後柳川より丑又といへる長人江戸に来れり、身丈七尺余といへり、鯨太左衛門はそれに比ぶれば最長ぜり、近古谷風梶右衛門といふ最手、身丈六尺五寸といへり、九紋竜七尺といへり、釈迦が岳七尺余といへり、上古長髄彦、宿儺、豊城入彦命、安部貞任、足利忠綱の類、長人少からず、琅邪代酔編廿七巻に、漢土の長人長狄兄弟巨無覇、曹交等の事おいへり、他日暇お得て長大の人の事考証すべし、