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用捨箱

大女房阿与米〈附甫春〉
近年大女淀滝とかいふお見世物に出しヽが、昔も彼に似たる女あり、松会板年代記〈天和三年新彫〉延宝二年の条、江戸堺町に四つになる子力持、石臼に銭四貫文のせ持あぐる、十一月近江国より、たけ七尺三寸ある大女名おおよめといふ、見世物に出すと見え、又続無名抄〈延宝八年惟中著〉上の巻に、近頃道頓堀に、〈中略〉頭大(づおほ)甫春といふ者あり、顔色常体の如く、うつくしさ人にこえたり、其たけ一尺二寸足脛すぐれて細く四五歳にこえず、梅花心易お誦ず、粗書およみて義に通ず、又大女房あり、江州の者なり、自髭大明神の変化なりといひつたふ、たけ七尺二寸、足のながさ一尺三寸、手のながさ一尺、全身すぐれて骨高く力人にこえ、達者究竟の男にも勝れりなどいふ事あり、当時の俳譜に大女房とあるは、此およめが事なるべし、〈およめな見世物に出しゝとき、いよ〳〵丈お高く見せんとて、足踏おはかせしとおぼしく、下駄足踏の句に附たり、〉
延宝廿歌仙
古足踏猛火となつて燃あがり 嵐窻
大女房の大蛇いかつて 同
西鶴大矢数〈延宝八〉
下駄の鼻緒や春雨の空
大女房一丈二尺たつ霞
向之岡〈延宝八〉
大女房それさへあるお富士の雪 如鉄
杉村治信の画本古今男〈天和四年印本〉の頭書に、近頃堺町かぶき見にまかりしついでに、小芝居の前お通りしに友のいふ、なにと保春とおよめといふ大女房と競て見たお聞たか、いや知らぬ、腹おかかへた事よ、まづ保春がせいの高さ壱尺一寸、およめが大さ八尺、〈中略〉天井にとヾく程に高くて色白ければ、鹿子まだらの富士の如し、保春は加僧にて、土人形の西行法師に似たりと、〈○中略〉又、其角の著、吉原五十四君〈貞享四年〉に、
梅がえ 桜木
大女房およめと聞たる、ちんちくりんが妹小鶴とや、実よく似たり、大広袖の中より這出たると、世の人の笑ひ二木にとヾまる、連だちての道中無用たるべし、あらきのどくといひしは、梅がえは身のたけひきく、桜木はたけ高きお、彼およめに比て誹しなり、