[p.0054][p.0055]
兎園小説
十一
品革の巨女(おほおんな)
文化四年丁卯の夏四月のころより、世の風聞にきこえたる、品川駅の橋の南なる〈こゝお橋むかふるなり〉鶴屋がかヽえの飯盛女に、名おつたといへるは、この年二十歳にて、衣類は長さ六尺七寸にして、裾おひくこと一二寸にすぎす、膂力ありといへども、そのちからおあらはさヾりしとぞ、世に希なる巨女なれども、全体よくなれあふて、しなかたち見ぐるしからず、顔ばせも人なみなれば、この巨女にあはんとて、夜毎にかよふ嫖客多かり、当時その手形お家厳におくりしものあり、すなはち模して左に載せたり、その手は中指の頭(さき)より、掌の下まで、曲尺六寸九分、横幅巨指(おほゆび)お加へて四寸弱なり、その図左のごとし〈○図略〉件のつたは出処駿河のものなりとぞ、ひが事おすとよまれたるいせ人にあらねども、阿漕の浦に引く網の、たびかさなれる客ならねは、手お袖にしてあらはさず、足さへ見するお恥ぢしとそ、これらはおなごの情なるべし、あまりにいたくはやりにければ、瘡毒お伝染して、あらぬさまになりしかば、千鳥なくのみ客はかよはず、いく程もなく、その病にて身まかりにきといふものありしが、さなりやよくはしらず、又その翌年〈文化五年〉の冬のころ、湯島なる天満宮の社地にて、おほおんなのちからもちといふものお見せしことあり、予はなほ総角にて、浅草のとしの市のかへるさに立ちよりて、それおば見けるに、よのつねのおんなより一岌大きなるは、偉きかりしが、品川のつたが手にくらぶれば、いたく見劣りて、さのみ多力なるものとは見えざりき、彼品川のおほおんなは是なるべしと、おもはする紛らしきものとしられたり、かばかりはかなきうへにだも、贋物いで来る、油断のならぬ世にこそありけれ、こヽにすぎこしかたお思へば、十八九年のむかしになりぬ、時に筆研の間、亦戯れにしるすといふ、 文政八年乙酉小春念三 琴嶺