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愚管抄
五/二条
平治元年十二月九日夜、二条烏丸の内裏院の御所にてありけるに、信西子ども具して常に候けるお、押こめてみなうちころさんとしたくして、御所おまきて火お掛てけり、さて中門に御車およせて、師仲源中納言同心のものにて、御車寄たりけるに、院と上西門院と二所のせまいらせたりけるに、信西が妻成範が母の紀の二位はせいちいさき女房にてありけるが、上西門院の御ぞの裾に隠て、御車に乗にけるお、さとるひとなかりけり、〈○中略〉夜〈〇二十五日〉に入て、惟方〈○検非違使別当〉は、院〈○鳥羽〉の御書所に参て、小男にてありけるが、直衣にくヽり揚て、ふと参て、そヽやき申て出にけり、