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古事記伝

老女は意美那(おみな)と訓べし、新撰字鏡に〓於弥奈(おみな)とあり、〈〓は字書に見えず、字のさまお思に、老女の意の和字なるべし、〉続紀十三に、紀朝臣意美那と雲婦人の名も見ゆ、抑老女お意美那と雲は、少(わか)きお袁美那(おみな)と雲と対て、大(お)と小(お)とお以て、老と少とお別てる称なり、〈又伊邪那岐、伊邪那美などの、御名の例お思ふに、意伎那、意美那は、伎と美とお以て、男女お別てる称なるべし、〉さて和名抄に、説文雲、嫗老女之称也、和名於無奈(おむな)と見え、書紀に、老婆(おむな)、老嫗(おむな)、老女(おむな)、〈かの続紀十三なる紀朝臣意美那おも、同紀五には音那(おむな)とあり、又家原音那(おむな)と雲も同巻に見ゆ、土佐日記におきなおむなと雲るも、老夫老女の意なり、然るお註に翁なる女と雲るは誤なり、〉又万葉に嫗、霊異記に嫗於于那(おうな)など見えたるは、中古よりして、美(み)お音便に牟(む)とも宇(う)とも雲なせるものなり、これ又袁美那おも、後には袁牟那(おむな)とも、袁宇那(おうな)とも雲と、同例なり、〈意(お)と袁(お)とお以て、老少お別つことは、祖父母お意知(おぢ)、意婆(おば)といひ、親の兄弟お袁知袁婆(おじおば)と雲たぐひなり、然るに後世意袁(おお)の仮字乱てより、是らすべて分れずなりにたり、又師(加茂真淵)は万葉に拠ありとて、老女は於与那(およな)と訓べし、和名抄の於無奈(おむな)、無(む)は与(よ)の誤ならむと雲れつれど、心得ず、凡て於与那(およな)と雲こと、物に見えたることなし、〉