[p.0103][p.0104][p.0105]
親戚は、親族、又は親属と雲ひ、古くはうから、やからとも雲へり、血統若しくは婚姻に由りて結合したる一族お謂ふなり、吾邦の書には、眷属お親属の事としたるものもあれど、眷属は汎く随従の者お謂へるにて、必しも親属には限らざるなり、親戚は後又之お親類と雲ひ、徳川幕府時代には、事ある時は、親類書と雲ふものお、官府に徴して、之お検査するの例もありき、
親戚には、内戚、外戚、本親、傍親等の別あり、内戚は叉内親とも雲ひ、男党即ち父党、夫党の親族お謂ひ、外戚は女党即ち母党、妻党の親族お謂ふ、又本親とは、父子の関係にして、即ち高祖父、曾祖父、祖父、父及び子、孫、曾孫、玄孫等の親お謂ひ、傍親とは、兄弟の関係にして、即ち伯父、伯母、叔父、叔母、姪、甥等の親お謂ふ、古書に傍期とあるは、即ち此傍親にして、期の喪お服すべきものお謂ふなり、傍期は一に傍周とも雲ひて、期親と同じく、尊卑にも長幼にも謂ふなり、而して所謂尊卑長幼とは、親族関係の次序に就きて言へることにて、尊卑は血統の高下に因りて之お分ち、長幼は年齢の多少に因りて之お定むるものなり、例せば父子又は叔姪等の関係に於ては、父は子よりも、尊属にして、姪は其年齢の如何に関らず、叔よりも卑属なるが如し、然れども、兄弟姉妹、及び従父兄弟姉妹等の関係に於ては、単に血統の高下のみお以て之お決し難きものあり、故に専ら長幼お以て之お次序す、例せば伯父の子にても、己より年少なれば従父弟にして、叔父の子にても、己より年長なれば従父兄なるの類是なり、又等親あり、蓋し服忌の五服に本ける称呼にして、分ちて五等とす、血縁の親疎お以て其標準と為すなり、
祖先は直系親属の猶も尊きものにして、祖と宗とお謂なり、祖宗の外は幾代あるも之お称せず、而して高祖父母より以下、父母までお以て、直系の尊親属と為し、子より以下、玄孫までお直系の卑親属と為し、其以下来孫、昆孫、仍孫、雲孫等の名あれども、通常には之お称する事なし、
襲家の制度に於て、世と雲ひ、代と雲ふは、支那の制お承けしものにて、世とは直系相続の度数お以て算し、代とは家督相続の度数お以て算するお謂ふなり、而して其世数お算するに、自己お算入すと、せざるとの二説あれども、支那固有の制は、単に誰より幾世とあれば、其人お算入し、誰の何世の孫とあれば、其人お算入せざる例なるが如し、
此他親族の名称には、和漢其文字お一にして、其実お異にするもの頗ぶる多し、たとへば姪は支那に在りては、男党のおひ、又はめひなり、然るに吾邦にては、多く姪お男党、女党の別なく、めひに用い、甥は女党のおひなるお、多く男党、女党の別なく、おひに用いたり、又父母は相対するものにて、支那の制は、伯父の妻お伯母と雲ひ、叔父の妻お叔母と雲ひ、父の姉妹お姑と雲ふ、然るに吾邦にては、古くより父の姉妹お伯叔母と雲ひ、之お総称して姑と雲へり、又母の兄弟おおぢと雲ひ、舅の字お以て之に当つ、又母の姉妹おおばと雲ひ、姨又は姨母、若しくは従母、外甥母の字お以て之に当つ、又古くより姨お父の姉妹にも用いたり、叉夫の父に舅の字お用い、夫の母に姑の字お用い、妻の父に外舅の字お用い、妻の母に外姑の字お用いる事は、支那に同じ、されど皆同じく男おしうと、女おしうとめと呼びたり、又吾邦に在りては、祖父、祖母と、伯叔父、伯叔母とは、一はおぢ、おば、一はおぢ、おばと雲ふこと古の例なれど、後世両者相混じて、隻文字に其跡お留むるのみなり、おぢ、おばお多くおほぢ、おほばと雲ふに至りしも、蓋し或は之おおぢ、おばに別たんが為に用い習はせしものならん、
乳母は、めのとと訓ず、おも、ちおも、おち、ちぬし、皆同一にして、生母に代りて児女に乳お哺するより名づくる所なり、而して男子の保傅お亦めのとと雲ふは、其児女お養育するの職、乳母の之お哺乳すると、其理相同じき所あるお以てなり、
此篇は政治部戸籍、相続、養子等の各篇に関聯する所多し、宜しく参看すべし、