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古事記伝
四十
為等族之下席は、比登志宇賀良能斯多牟斯呂爾那良牟(ひとしうがらのしたむしろにならむ)と訓べし〈為は那佐米夜(なさめや)と訓べきが如き語の勢なれども、米夜(めや)と訓べき宇なければ、然は訓がたし、師(賀茂真淵)は此おひとしきやからのむしろとらせむやと訓れたれどいかゞ、下おとるとは訓がたきうへに、席おとると雲ことあるべくもあらず、〉族は、書紀神代巻に、宇我羅(うがら)と訓注あり、又親属(うがらやがら)、顕宗巻に、親族(うがらやがら)、安閑巻に、同族(うがら)などあり、〈宇賀良(うがら)と夜賀良やがとの差別、宇賀良は生族(うまれから)、夜賀良は家族(やがら)の意か、なほよく考ふべし、さて宇賀良も、夜賀良も波良賀良(はらから)も、皆加な清て呼へども、右の書紀の訓注に依らば、准へて皆濁るべきか、はれ濁ると清むとあるか、悉には知がたし、登母賀良(ともがら)は今も濁りて、雲り、さて万葉三の長歌に親族兄弟(やからはらから)とある親族もうがらと訓べきにや、〉此に等族(ひとしがら)と雲は、若日下王と大長谷王とは姨甥(おばおひ)に坐て、共に天皇の御子なれば、同品の御族(みうがら)に坐よしなり、下席に為るとは、大長谷王の妃に為坐ことお、如此は雲るなり、夫婦は交合時に、婦おば夫の下に敷故に、下に敷れむと雲意なり、〈下席とはたヾ下に敷よしなり、上席に対へて雲にはあらず、〉さるは正しき言には非ず、たヾ怒りて嘲りたる、戯言のよしなり、