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歴朝詔詞解

皇祖母は淤保美淤夜(おほみおや)と訓べし、文武天皇の大御母命のよしにて、元明天皇お申せる也、そも〳〵御母お皇祖母と申ては、祖字いかヾなれば、是は聖武天皇の御祖母(みおば)のよしならむと、思ふ人あるべかめれど、然にはあらず、まづ古は凡て、母お御祖(みおや)といへること、古事記などに多く見え近くは下鴨お御祖神と申すなども、上鴨別雷神の御母に坐が故也、又此紀の此巻の詔に、天皇の大御母藤原夫人お、宜文則皇大夫人、語則大御祖雲々とある、これにて大御祖と申すは、大御母なること、いよ〳〵明らけし、さてそれに母字お添て書事は、皇祖とのみにては、皇神祖(すめろぎ)と混ふ故に、御母なることお知らさむため也、その例は、皇極紀に、吉備島皇祖母(みおや)命とあるも、天皇の御母吉備姫王の御事也、又孝徳紀にところ〴〵、皇祖母尊と有は、皇極天皇の御事にて、皇太子中大兄の御母にて、天皇の御姉に坐お、大御母と崇奉り給へる也、これら皆御祖母(みおば)にはましまさず、御母也、此事は、玉勝間の山菅の巻にもいへり、すべてよのつねの文字づかひにのみめなれて、古書にうとき人は、思ひまがへて誤ること、此類多きぞかし、