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古事記伝
二十一
常根津日子伊呂泥(とこねつひこいろね)命、〈○中略〉伊呂泥(いろね)は、伊呂勢(いろせ)と同くて、同母兄の意か、書紀に、此御名お某兄(いろね)と作(かヽ)れ、神代巻、神武巻、欽明巻、孝徳巻などに、兄おも然訓り、和名抄にも、兄日本紀雲、伊呂禰とあり、〈同母姉お、伊呂泥と雲によりて、此泥は凡て女に限れろ称の如く聞ゆめれども然らず、白梼原宮段に、神淳河耳命の御兄お那泥女命と申し賜へれば、那泥と雲ふも、女には限らず、伊呂泥も准ふべし、〉されば此は、男女に通ふ称なり、〈同母姉お雲は、阿泥(あね)の阿お省きて、泥と雲なり、〉さて伊呂とは、人お親み愛みて雲る言にて、某入彦某入娘と申す御名の伊理(いり)、又郎子郎女(いらつこいらつめ)などの伊良(いら)も、皆此同言の活用にて同意なり、日子坐王の御子に伊理泥王、崇神紀に飯入根(いひいりね)と雲名なども、伊呂泥と雲と通へるお以て知べし、同母兄弟お、伊呂勢(いろせ)、伊呂杼(いろど)、伊呂妹(いろも)、母お伊呂波(いろは)と雲も、〈伊呂波は伊呂波々なり、〉親み愛みて雲称ぞかし、〈万葉十六に、伊呂雅(いろけ)せる菅笠小笠とよめるも、伊呂は、其人お親みて雲るなるべし、〉さて此伊呂泥お、書紀に某兄(いろね)と書れたる某字は、如何なる由にか、〈若しくは、古へに人お親みて雲るよりうつりて、其名お雲べき時に、名に代て伊呂と雲しことのありしにや、某は那爾賀志曾礼賀志(なにがしそれがし)などゝ訓て、名に代て雲字なり、書紀には、此下なる蝿伊呂泥蝿伊呂杼おも〓某姉(はへいろね)、〓某弟(はへいろど)と書れ、垂仁紀〈一丁〉に、某辺(いろべ)とも書れたり、〉