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碩鼠漫筆

内方の称は貴賤に宣る例
後世に人の妻お内方(うちかた)といふは、下ざまにのみ限れる事とみゆれど、古くは貴人おもしか呼し事と聞ゆ、さるは貫之集上巻に、延長四年きよつらの民部卿六十の賀、つねすけの中納言内方せられける雲々、〈按ずるに、恒佐卿の室家は、清貫卿の女なり、尊卑分脈恒佐卿の篇に見えたり、〉天延二年閏十月廿七日権記雲、申時許、高遠少将内方乳之後死去、是中納言朝成第三女也、また正暦四年二月廿九日記雲、早旦左京亮国平朝臣来雲、修理大夫内方、自夜半有悩気已入滅、悲歎無極雲々、〈修理大夫は中納言藤懐平卿なり、公卿補任に見ゆ、又室家は中納言源保光卿女ならむ、尊卑分脈考ふべし、〉など見えたるが如し、〈猶あるべけれど、今おもひいでず、〉又妻室お女房といふも、昔は貴人の称なりしなり、