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松屋筆記
六十七
百霜婦(やもめ)
俚諺に、越後新潟八百八後家(やごけ)といへり、そは新潟は北国の船舶輻湊の地にて、唱婦色お衒ものおほし、皆一女一室お構へ、一人住して客お曳く、そのさま後家所帯の家に似たれば、これお後家とよび、又数の多おたとへて八百八後家といへりとなん、八百お以て多数にたとへいふは、若狭の八百比丘などの類也、古言の八百日行浜の真砂、塩の八百合などの遺辞なり、八百八おたとへにしたると、近江湖に八百八谷の水落入る、あるは江戸八百八町などおほかり、皇明通紀三の巻〈卅三丁う〉洪武十六年の条に、沐英留鎮雲南、麓川之外有国曰緬、車里之外有国、曰八百媳婦、〈○中略〉これらの八百媳婦の名、よしありてきこゆ、八百八後家も八百霜婦にて、やもめ住せる女の多きおいへるにはあらじか、後家の名も鎌倉比の書に見えて、古く聞えたれど、唱女(おやま)にいはんは似つかはしからぬにや、