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政談

妾と雲者、無て協ざる物也、当時はめかけ(○○○)おば隠れ者の様に仕る、是習しの悪敷也、古へは天子諸侯ともに一娶九女迚、姪姉迄八人附来る、皆めかけ也、何れも其后の親類にて、然も家来の女也、卿大夫之事は見へず、古へは官にて無れば、其法無成べし、去ども子無れば、妾お置こと通法也、今の世は表向一妻一妾と、高下ともに立て置候故、めかけは隠し者に成て、却て色々の悪事生る也、唐律お按るに、妻の次に媵妾者有、是は賤敷者に非ず、妻と左迄替も無家筋の人也、和律は此処闕巻なれば、事の様知れざれども、総体日本の古法は、唐朝の風なれば替有まじ、此媵は、古への姪姉也、兼て如斯人おめかけの役に仕て、婚礼の時より連行ときは、此風馴れこに成て、本妻は嫉妬も薄き道理也、又本妻の親類にて、家来の内おすること成ば、人の心は様々なれども、先は妾の悪事薄き道理也、兼て余多設け置候ときは、大好色の人は格別のこと、大形は男の心も是にて足べし、古の聖人は人情お察して、男女の間にこと少き為に、如此の礼お立て玉ふこと也、唯今大名の家に、上臘の御方と雲もの有、是古への媵成べし、中頃より本妻の嫉妬の心よりして、夫の召仕者の様には今はせぬ成べし、備前の松平伊予守が奥方の風儀宜とて、某が妻の母語る、若き時分、其家に仕へてよく知たり、妾にて子お持たる女もやはり奥方へ仕へて、外の女中並にて、何の替り無し、唯切米の少し宜と、奉公の楽なる迄のこと也、伊予守が奥方賢良の婦人にて、左様の者と見れば、殊に念頃にせられたり、奥方にての遊びは、管絃、歌楽、手習迄也、三味線、筑紫琴抔は、大名のせぬこと也とて、堅く是無と也、是は新太郎少将、聖人の道お深く信じて、家内の宜く治りたる余風残りて如斯、去ども礼と雲物お立ざれば、隻主人の物数寄と思ふこと成故、其風破れたりと承る、去ば妾のことも礼制お立度事也、