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源平盛衰記

兼家季仲基高家継忠雅等拍子附忠盛卒事
又或人の語けるは、昔も係るためしなきに非、村上〈の〉帝の御宇、左中将兼家と雲人あり、北方お三人持たれば(○○○○○○○○○)、異名には、三妻錐(みつめぎり)と申けり、或時此三人の北方一所に寄合て、妬色(ねたみいろ)の顕れて、打合取合、髪かなぐり衣引破り、なんどして、見苦かりければ、中将は穴六借(かし)とて、宿所お捨て出給ぬ、取さふる者もなくて、二三日まで組合て息つき居たり、二人の打合は常の事也、まして三人なれば、誰お敵(かたき)共なく、向ふお敵と打合けるこそ咲しけれ、是も五節に拍子おかへて、取障る人なぎ宿には、三妻錐こそ捼合(もみあひ)なれ、穴広々ひろき穴かなとはやしけり、