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古事記伝
十三
伊呂妹は、伊呂毛(いろも)と訓べし、同母妹お雲なり、まづ凡て古に兄弟お称呼に、男弟女弟(おとうといもうと)対へて、男兄(あに)お勢(せ)と雲、阿爾(あに)とも雲、〈此は常の如し〉又女兄(あね)に対へて、男弟(おとうと)おも勢(せ)と雲り、〈須佐之男命のみづから、天照大御神の伊呂勢と詔へるが如し、中昔までも然雲り、女兄に対へて、男弟お淤登(おと)と雲ことはかり、此は後世と異なり、〉さて女弟(おとうと)に対へて、女兄(あね)お阿泥(あね)と雲、又男弟(おとうと)のみづから女兄(あね)お指ても、阿泥(あね)と雲り、〈但し男弟の、女兄お阿泥と雲は、みづから呼ときのことなり、傍よりは、男弟に対へては、女兄おも伊毛と雲り、中昔までもしかり、此は後世と異なり、〉さて男兄に対へて、男弟お淤登(おと)と雲、〈此は堂の如し、女兄に対へて、男弟お淤登と雲ことはなかりき、〉又女兄に対へて、女弟おも淤登と雲り、〈中昔までも然りき、女兄に対へて、女弟お伊毛と雲ることに無し、此に後世と異なり、〉さて男兄に対へて、女弟お伊毛と雲、〈此に常の如し、女兄に、対へては女弟お伊毛といへることなかりき、〉又男弟に対へて、女兄おも伊毛と雲り、〈此は後世と異なり〉かくて又同母兄弟の間にては、勢(せ)お伊呂勢(いろせ)、阿泥(あね)お伊呂泥(いろね)、〈阿泥の阿お省きて泥と雲なり、例は黒田宮段に、伊呂泥とありて、書紀に某姉と書れたり、さて泥と雲は、もとは男女にわたれる称にて、男名にも負り、此事中巻浮穴宮段、伝廿一の十ひらに雲り、然るお阿泥の阿お省きて、同母姉おも伊呂泥といふなり、〉淤登お伊呂杼(いろど)〈淤登の淤お省きて、杼と雲なり、濁るは伊呂より連く音便なり、例は黒田宮段に、伊呂杼とあり、又記中に、伊呂弟とあり、さて凡て伊呂と雲言の義は、中巻浮穴宮段、伝廿一の十びらに雲べし、〉とも常に雲り、これらに准ふるに、同母兄に対へて、女弟(いも)おば伊呂毛(いろも)と雲けんこと決し、〈阿泥お伊呂泥、淤登お伊呂杼と雲例にて、伊毛の伊お省きて、伊呂毛と雲べし、〉故今然訓るなり、〈前には伊呂毛と雲ることの、慥に見えるざによりて、伊呂妹の妹おも、杼と訓べしと雲つれども、其は精しからざりき、其故は、古男兄に対へて女弟お淤登と雲る例なればなり、記中に伊呂杼とあるは、みな男弟にて、女弟にはみな伊呂妹と書り、又黒田宮段に、伊呂杼と雲名も、女兄に対へて雲るなれば、男兄に対へて雲る例には非るぞかし、凡て古に兄弟お称呼る名ども、男と女によりて、互に異なること、右の如くにして、後世の格とは異なること多し、委曲ににわきまへずは誤又るべし、書紀の訓、和名抄などは古に合ひがたきことまじれり、よく〳〵わきためて取べき也、〉