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古事記伝
十六
弟は淤登(おと)と訓べし、〈伊呂杼(いろど)と訓て宜きもあれど、所によることなり、〉和名抄に、爾雅雲、男子後生為弟、和名於止宇止、〈とあれども、淤登は男女にわたりて雲称なり、又もとはたゞ淤登と雲りしお、淤登宇登と雲は、夫お袁宇登、妹お伊毛宇登と雲類にて、宇登は皆人にて、弟人夫人妹人なり、かく人と添て雲は後のことなり、〉また爾雅雲、女子後生為妹、和名伊毛宇止とあれども、古は姉に対へて、後に生れたるおば、女おも弟と雲て妹とはいはず、記中の例皆然り、心お著て見べし、中昔までも然にぞありける、〈後に生れたる女子お妹と雲は、男兄(あに)に対へ雲称なり、姉に対へては弟とのみ雲て、妹と雲ることなかりき、然るお後世には、姉にむかへても妹とのみ雲て、男ならでは弟とは雲ぬことゝなれるは、漢籍には姉妹と雲るにめなれたるうつりにして、皇国の古称にたがへり、和名抄なども、たヾ漢ざまによりて雲るものなり、実は中昔までも古の如くにて、姉に対へては弟とこそ雲つれ、古今集雑上詞書に、妻の弟おもて侍りける人に雲々、源氏物語花宴巻に、朧月夜君のことお、女御の御おとうとだちにこそあらめ、などある類にて、姉に対へて妹と雲ことは無かりき、〉