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黒田家譜
孝高
此日〈○慶長五年九月十五日〉も辰の刻より軍始り、巳午に及べ共勝敗未だ分らざりしが、動すれば、関東勢戦地おしらざりければ、家康公の家臣久保島孫兵衛、旗本に馳参り、秀秋未だ裏切すべき旗色見え申さずと雲ければ、家康公是お聞給ひ、秀秋裏切せざる時は、秀元広家も違変有べきかと、彼是心お苦め給ふ、家康公は弱冠の頃より、昧方危き時は、指お噬ませ給ふ癖有しが、此時も頻りに指お嚼み給ひ、忰め(○○)に計られて、口惜〳〵と雲はれければ、〈○下略〉