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沙石集
七下
継女蛇欲合事
下総国に、或者の妻十二三ばかりなる継女(○○)お、大なる沼の畔へぐして往て、此沼の主に申、この女お参せて、むこにしまいらせんと度々雲けり、ある時、世間すさまじく風吹空曇れる時、又例のやうにいひけり、此女殊におそろしく身の毛いよだつ、沼の水浪たち、かぜあらくして見へざれば、急ぎ家へ帰るに、物の追心地しければ、いよ〳〵怖なんと雲計なし、さて父にとりつきて、かヽる事なん有つると、日比の事まで語る、さるほどに母も内へにげ入りぬ、其後大きなる蛇きたりて、頭おあげ舌お動して、此女お見る、父下郎なれどもさか〳〵しき者にて、蛇に向て、此女は我女也、母は継母也、我がゆるしなくては、争かとるべき、母が詞によるべからず、妻は夫とに従ふ事なれば、母おば心にまかすとるべしといふ時、蛇むすめお打捨て母が方へはいゆきぬ、その時父この女おかい具してにげぬ、この蛇母にまとひつきて、物ぐるはしく成て既に聞き文永年中夏の比の事と沙汰しき、来月三日大雨大風ふきてあれたらん時出べしと申あひしが、実に彼日おびただしくあれて風雨はげしく侍き、正しく出ける事はきかざりき、人のためはらくろきは、やがて我身におよび侍にこそ、人おあやぶめては、おのれがおちん事お思へといへり、因果のことはりたがふべからず、