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古事記伝

子孫は須恵(すえ)と訓べし、下巻に袁祁命の押歯王之末奴(みすえやつこ)と名告給へる、末(みすえ)は子孫の意なればなり、〈此は実は其御子にて、子孫にはあらねど、言は子孫といふことなり、書紀には御裔僕(みなすえやつこ)とかけり、〉是に依て某の子孫などあるおば、皆須恵とよむべきなり、中昔も今も然雲なり、〈書紀にうみのこと訓めるは、子孫八十連属、又生児(うみのこの)雲々、生子(うみのこの)雲々とも書り、此訓は正くは万葉廿に、宇美乃古能(うみのこの)、伊也都芸都岐爾(いやつぎつぎに)など有に依り、されど此は子孫の末が末までとかけて雲ときの称にこそあれ、たヾ某子孫などあるお然訓むはいかゞなり、凡の称に此の如き差別あることなるお、文字だに同じければ、いづこも〳〵同く訓るは、たヾ文字にのみ依て、古言なお思はぬ故なり、同字お書けども、そのさまに依て、古言は異ることお思ふべし、又はつこと雲訓もあれど、さだかなる証お見ず、〉