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代数考
世数代数之事〈○中略〉
信名曰、和漢ともに、常には代と世とお混用せしことも多けれど、皇朝にて、中古よりの定は、世数とは血統にてかぞへしおいひ、代数とは家督お以てかぞへしおいひしなり、その由は右に引たる二書〈○神皇正統記後白河帝条、平家物語巻四源兵揃条、〉お以て知るべし、代はかはるともよみて、代位又は代立など用ひらるヽこと故に、家督の方に充しなり、世は生にも通せる故、家督お継しも継ざるも一生の意にて、血統の方に充しと見えたり、鎌倉三代将軍と称せるも、頼朝、頼家、実朝の三代にて、頼家、実朝は兄弟なれど、共に家督せられし故に、三代とは申せしなり、〈東艦には、三代上将と見え、保暦間記、太平記などには三代将軍となり、〉又王孫に二世王三世王といへるは、兄弟幾人ありても、二世の兄弟は、皆二世王と申、三世の兄弟は、すべて三世王といふ事にて、世数代数の分別は、皇朝には定ある事なれど、文章の上にては、常に混用せられしこと、古今少からず、されば何書にてもあれ、本書の体裁によりて弁別すべきなり、
一武家にては世数によらず代数お可用事
古代公家の定は、私の領地といふはなく、官位お表にせし故に、官位田封戸など給はりても、一身の間管領して、子孫には譲ることなく、子孫なければ其儘にて絶家し、又は大臣の子孫にても、諸大夫侍などに成さがれる類もあり、中古より荘園お譲ること出来たれど、是亦当世武家の所領お伝領せる様なる事にてはなく、表立たるさまにても、実は内々の積りにて、やはり官位お表にせらるヽ事なり、又子なき人の養子おせるにも、かならず一族の子お養ふ例にて、他姓の人お子とすることなし、〈たまさかには他姓の人お養子とせることもあれど、これは別にいはれあることにて、常の例にあらず、〉其上今の武家の如く、全く父子の義に従ふはまれなり、故に多くは猶子と称せしなり、〈当世公家にて、猶子といふことのあるにこの例なり、〉もと他姓の人お養はぬならひなれば、世数代数ともにかぞへらるヽ也、〈今の公家衆には、武家の例にならへることもあれど、近き世のさまにて古法にあらず、〉武家にては、頼朝将軍以来、大名諸家すべて所領お表にして、官位にはさまでかヽはらぬ定なる故に、家督お専一とす、その故は、無官位にても、所領お伝領せる人は、幕府の所役に従ふ定なれば也、〈畠山重忠、梶源景時などはさるべき大名なれど、一生涯無官位なるに、其子は父の、在世の内、衛門尉兵衛尉などになされしものもあり、又佐藤継信忠信等は、秀衡の家人なれど、兵衛尉になれり、これにて官位にはさまでかヽはらぬお見るべし、今の世にても、大広間衆は無官位ながら、帝鑑間衆の下にたヽず、柳間衆は無官位にても、菊間衆の下に居らず、又万石以上三千石以上五百石以上などいひて、家と禄とおむねとし、官位は其次になさるヽこと也、畢竟分限によりて武役お勤むることなれば也、〉されば血統の世数にはかかはらで、家督の代数おかぞふるお、武家の通例とすべし、こと更今の世には、血統ならぬ他姓の人おも養子として、家督お譲ること常のならひなれば、世数はかぞへられぬことなり、強而世数おかぞへんとすれば、代数は養家により、世数は実家によりてかぞへざればならざる也、さらば代数世数おかぞへたりとも、かけ合ざる事にて、無用なるうへに、さる作法は決してあるまじき也、この故に、世数おすてヽ、代数によるお武家の通例なるべしとは思ひよれるなり、官位にはよらで、家督おむねとすることお、よく〳〵味はふべし、〈平治物語に、義経お清和天皇十代の苗裔、六孫王より八代とかけるも、曾祖父義忠は家督お継ざりし故に除けるにやと思はる、〉