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代数考
幾代の孫といへるに己おば除くや除かざるやの事
信名曰、諸書の記せる所両様にして決し難きに似たりといへども、近代はすべて己お加へてかぞふるお通例とせり、もと両様になれることは、幾代の孫、幾代の後胤とかける、之孫、之後胤といふ文字お重く見たると、軽く見起るとのたがひと見えたり、重く見たる方は、幾代お経たる孫といふ意にとりて、己お除き、軽く見たる方は、幾代めの孫といふ意にて、己お加へたるなるべし、〈担これらのことは、からものまなびに問て明らむべきなり、〉されど当世には己お加へたるお通例とすべし、異朝にても、中古よりこなたは全く己お加へし例と見えて、孔孟通記に、孔安国〈は〉孔子十二世孫為漢武帝博士とあり、此十二世は、〈一〉孔子〈二〉伯魚〈三〉子思〈四〉子上〈五〉子家〈六〉子京〈七〉子高〈八〉子慎〈九〉子襄〈十〉中心〈十一〉武〈〈十二〉安国なり、又鄒旅故事に、造父は季孫四世孫趙祖也とあり、此四世は〈一〉季勝〈二〉孟増〈三〉衡父〈四〉造父なり、同書に非羸は、悪来六世孫秦祖也とあり、此六世は〈一〉悪来〈二〉女防〈三〉傍皐〈四〉太几〈五〉大駱〈六〉非羸なり、斯の如く、すべて己お加へてかぞへたれば、これお当今の通例とすべし、