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古史徴
一夏/開題記
新撰姓氏録の論
さて此処にいさヽか、姓氏録お読まむ人々の、別に心留めおかずば、思ひ誤まるべく所思ゆる事どもお記してむとす、其はまつ若干世孫といふに二様あること、また称(なの)る氏は異なれども、其祖は同じきお、其氏々にて各々其祖の異名おもて語り伝へて、彼此岡祖なる事お知らず有しと所思ゆること、また氏は同して祖は異なるお、其氏々に本末あること、また所謂複姓も多有お、其複姓の後姓お偏に称りたるも有が、異姓のごと聞ゆること、〈姓氏録に複姓といふ目お立て論ふこと、旧くも有しや、其は知らねども、かく称へずては思ひ紛ふることある故に、今西土に然る目のあるに効ひて雲お、異しみ思ふことなかれ、〉此等の事は、かねてよく心得おくべき事なりかし、其例はまづ若干世孫と雲に二様ありとは、左京神別上天神に、藤原朝臣出自津速魂命三世孫天児屋根命也、二十二世孫内大臣大織冠中臣連鎌子雲々とある、〈二世の二お、今本に三に誤れり、今に古本二によりて正しつ、〉天児屋根命お、津速魂命三世孫と雲るは、津速魂命の御子市千魂命と、御孫興台産霊命とおおきて、曾孫(ひヽこ)の児屋命お三世孫と数たる世数にて、外にも例いと多かり、〈隻に孫おば孫と雲て、二世孫とも三世孫ともいはず、旧事紀なる天孫本紀の世数なども此定なり、此は古く世数おいへる例ときこゆ、〉かくて鎌子連お児屋根命の二十二世孫と雲るは、右と異にして、児屋根命より一世二世と次々に数たる世数にて、此例もまた甚多かり、〈鎌子連は、児屋根命より数へて二十二世なること、藤原系図お見て知るべし、〉姓氏録に記されたる世数、この二様に数へて合ざらむには、其お錯り乱たる物と知るべし、〈仮令ば、中臣志斐連の条に、天児屋根命十一世孫雷大臣命とあるは、児屋根命の御子天忍雲根命と、御孫天種子命と除て、曾孫の宇佐津臣命お、三世孫と数たる世数なるお、津島直の条其余にも、又児屋根命十四世孫雷大臣命とあるは、児屋命より数たる世数にて、彼も此も誤れるには非ざるお、九世孫など有は、悉錯まり乱たる伝なれば、十一世といひ、十四世と雲るお本として、余の錯乱お正し弁ふべし、其は此氏にかぎらず、余の諸氏にも通ることにて、中にも神別に此錯乱多かり、能々心お著て、余の書等おも校合て思ひ弁ふべし、抑かゝる錯乱に、家々より奏上れる本系お、悉くは糺し敢ざりし故ならむ、序にも其趣見えたり、〉また称る氏は異なれども、其祖は同きお、其氏々にて各々其祖の異名おもて語り伝へて、彼此同祖なる事お知らず有しと所思るは、天石都倭居(あまのいはとわけ)命、明日名門(あけひなど)命、阿居太都(あけたつ)命、伊佐布魂(いさふたま)命と雲は、みな同神の異名なり、〈そは第四十九段、第五十七段の徴、また伝に委く註せるお見て弁ふべし、此には隻例おいふのみぞ、〉然るお多米連家にては、天石都倭居命と雲名に伝へ、〈また多米連天比和志命之後也とも有は、此後お雲るなり、〉額田部の家々にては、明日名門命といふ名に伝へ、大椋置始連、県犬養宿禰などの家にては、阿居太都命と雲ふ名に伝へ、委文連の家々にては伊佐布魂命といふ名に伝へたり、〈また委文宿禰角凝魂命之後也ともあるは、此前お雲るなり、そは委文連角凝魂命男伊佐布魂命之後也とも有にて知べし、〉かヽる事、余にもなほ多かるお、其家々にては、同祖の異名と知らず有し状なり、〈そは若同祖の異名なる事お知たらむには、其別名おも挙等べき物なればなり、〉凡て異名同神お考へ弁ふることなむ、諸氏の出自お正し、古伝お明むるに専要とある学問なりける、〈然るお是までの事識人たちの説は、此お知ざりし故に、古伝の妙なる旨お明めたる事も、いまだ十の三分にも至らざりける、然るに予が異名同神の説お遠音に聞て、何くれと論ひ〓る人も有と聞ゆるは、いとおかし、大抵これまでの事識人たちの説は、大名牟遅神、八干矛神、大国主神、大国魂神、顕国玉神お、古書に同神の異名と有に拠てこそ同神と説つれ、然る言無らむには、別神と思ひやらるゝ説等なりかし、よし並有若干名と有ざらむも、其お熟明らむるこそ、学問の才とはいへ、〉また称る氏は同して、祖は異なるお、其氏々に本末ある事は、中臣氏の中臣は、中執持てふ言の約れるにて、〈師説と異なり、古史伝に委く註せるお見るべし、〉神と皇との御中執持つ児屋命の子孫に属る、本よりの氏なるお、其外にも中臣某と雲姓、これかれ見えたるは末なり、