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難太平記
八幡殿とは義家朝臣、陸奥守鎮守府将軍の御子、義国より義康、義包、義氏、泰氏など也、泰氏お平石殿と申き、其御子に頼氏、治部大輔殿と申、其御子に家時、伊勢守と号、其御子に貞氏、讃岐入道と申、其御子にて大御所、〈○足利尊氏〉錦小路殿〈○足利直義〉はわたらせ給ふ也、〈○中略〉義家の御置文に雲、我七代の孫に(○○○○○)吾生替りて天下お取べしと仰せられしは、家時の御代に当り、猶も時不来事おしろしめしければにや、八幡大菩薩に祈申給ひて、我命おつヾめて、三代の中にて天下おとらしめ給へとて、御腹お切給ひし也、其時の御自筆の御置丈に子細はみえし也、まさしく両御所の御前にて、故殿も我等なども拝見申たりし也、今天下お取事、唯此発願なりけりと両御所も仰有し也、