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今昔物語
三十
信濃国姨母棄山語第九
今昔、信濃の国更科と雲ふ所に住む者有けり、年老たりける姨母お家に居えて、祖の如くして養て、年来相副て過しけるに、其の心に此の姨母糸厭はしく思えて、此れが妬如にて老屈まりて居たるお、極て〓く思ければ、常に夫に此の姨母の心の く悪き由お雲聞せければ、夫六借き事かなと雲て、此の姨母の為に、心に非で愚なる事共多く成り持行けるに、此の姨母糸痛く老て、腰は、二重にて居たり、婦は弥よ此れお厭て、今まで此れが不死ぬ事よと思て、夫に此の姨母の心の極て〓きに、深き山に将行て棄てよと雲けれども、夫糸惜がりて不棄ざりけるお、妻強に責雲ければ、夫被責れ詫て棄むと思ふ心付て、八月十五夜の月の糸明かりける夜、姨母に去来給へ、嫗共寺に極て貴き事為る見せ奉らむと雲ければ、姨母糸吉き事かな、詣でむと雲ければ、男掻負て高き山の麓に住ければ、其の山に遥々と峯に登り立て、姨母下り可得くも非ぬ程に成て、打居えて男逃て去ぬ、姨母おい〳〵と叫ど、男答へも不為で逃て家に返ぬ、然て家にて思に妻、に被責て此く山に棄てつれども、年来祖の如く養て相副て有つるに、此れお棄つるが悲く思えけるに、此の山の上より月の糸明く差出たりければ、終夜不被寝ず恋しく悲く思て、独言に此くなむ雲ける、 わがこヽろなぐさめかねつさらしなやおばすてやまにてるつきおみて
と雲て、亦其の山の峯に行て、姨母お迎へ将来たりける、然て本の如くぞ養ける、然れば今の妻の雲はむ事に付て、由無き心お不可発ず、今も然る事は有ぬべし、然て其山おば其よりなむ姨母棄山と雲ける、難億しと雲ふ譬には、旧事に此れお雲ふにぞ、其の前には冠山とぞ雲ける、冠の巾子に似たりけるとぞ語り伝へたるとや、