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古事記伝
二十四
御母は美淤毛(みおも)と訓べし、乳母お雲なり、淤毛と雲は、児お養育(ひた)す事おする婦人お凡て雲称なり、其中に乳母は、殊に主とある者なる故に、唯に淤毛とのみ雲なり、又親母(はヽ)も主と養育す者なる故に淤毛とも雲り、〈親母お淤毛と雲は、養育す方に就て雲称なり、たヾ親母の古名と心得るは精しからず、親母お淤毛と雲るは、書紀仁賢巻に、於母亦兄、此雲於慕尼慕是(おもにもせ)、万葉廿に、父母お意毛知々とよめり、同巻に、阿母刀自(あもとじ)とよめるも、防人の歌にて、東言に淤お阿と雲るなり、曾禰好忠集に、おもとじの乳ぶさのむくい雲々、書紀神武巻に、孔舎衛之戦、有人隠於大樹而得免難、仍指其樹、曰恩如母、時人因号其地曰母木邑、今雲飫悶乃奇訛也、新井氏東雅に、百済の方言に、母おおもと雲り、今も朝鮮の俗、母なおもと雲は、古の遺言なり、これ吾国の言の彼国に伝はりしか、又彼国の言の吾国に伝はりしか、未詳と雲り、今思ふに、此称神武の御世の故事あり、又古く乳母にも雲れば、本より皇国言なるが、韓地へも伝はれるなるべし、〉さて親母お淤毛と雲て、母字お然訓故に、乳母の淤毛にも、やがて其母字のみお書は、古字には拘らざりししわざなり、乳母(ちおも)おたヾ淤毛(おも)と雲る例は、万葉十二〈十丁〉に、縁児之(みどりごの)、為社乳母者(ためこそおもは)、求雲(もとむといへ)、乳飲哉君之(ちのめやきみが)、於毛求覧(おももとむらむ)、〈是は乳母と書たれども、必たヾおもと訓べきこと、末句に於毛とあるにて知べし、今本の訓はいたく誤れり、〉悔毛(くやしくも)、老爾来鴨(おいにくるかも)、我背子之求流乳母爾(わがせこがもとむるおもに)、行益物乎(ゆかましものお)と見え、孝謙天皇の御乳母、山田宿禰比売島といふ人お、続紀廿〈二十四丁〉万葉廿〈十三丁〉に、山田御母(みおも)とあり、和名抄に乳母、日本紀師説、女乃於止、言妻妹也、事見彼書、唐式雲、乳母、和名米乃止、弁色立成雲、爾母、今按即乳母也、和名知於毛とあり、〈古本には知於毛の知字なし〉