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蛋の焼藻

当御代は、男女の御子、腹々に数多出来させ賜ひければ、御留守居衆御乳母に事欠て、様々に求め集められたりけり、むかしよりいかなる故にや、御乳お奉る者は、御目見以下の妻〈御徒与力同心、其外小給の御家人の妻〉おのみ用ひられけるが、引続て御誕生多かりければ、こと足らぬまヽに、大御番小十人の面々の妻も、相応の乳持たらんは、御用ひ有べき由にて求められたり、
御乳母のあつかひ方、朝夕の食事は、御上りの通りにて美味なれども自ら冷になりて、煮立の 様にはあらず、しかも御台所に於て、御広舗番頭同添番なんど立合て喰すること故、少しも能 育たる者にて、前後おたしなむ心の女は、快く食することはなし、其上部屋にても、湯茶お己が 儘に呑こともならず、御茶屋へ行て目付立合て呑ことなる由、薬とても同じことなれば、中々 気血のめぐりて、乳およくたもつことあたはずなり、去により、小給の者の妻なんど、しかるす べおも何とも思はず、弁へなきそだちならざれば、しばしも乳もたもつことあたはず、夫さへ 小給の身にて、己が生たる子は里にやりて、御乳に出るに、君の御為冥加とは雲ながら、わづか 三四け月の中に己が乳おば失ひて、其間は夫も家事の扱ひに差つかへ、又下りては、里にやり たる子の手当お出すべき設なければ、多く御乳に出ることお不好により、弥御用とヽのひが たくて、後は御乳に出たるものには、乳止りて、下りても其子の四つに成迄、御扶持お給ること に成たりしが、猶御乳に出る者少かりしかば、近き頃は、御目見に出る者には、有無によらず、銀 三枚づヽ被下べき旨被仰出て、漸今迄御用お弁じたり、
すべて御乳に出る者、漸三け月又はよく保ちて六け月余りも、乳お奉れば、はや乳細く成て、里へ戻さるヽこと定例なり、孝順君の生れさせ玉へる時、定信朝臣も兼て含み居玉へる上に、御乳の扱ひしける矢部彦五郎〈御目付〉が申上て、一体賤婦の乳お奉ること然るべしとも存候はず、大御番両御番寄合迄も吟味せられ、乳お奉らしめ、平人のごとく御抱寐迄も仕様に心得て、くつろぎ候て、十分に養ひ奉る方可然にや、たとひ御馴染付て後々御側おはなたれず候共、ともかくも君の御為なれば、当婦も夫たるものも、いかで其時迷惑にも思ふべき、左もあらば、御幼稚の御為にも、甚可然御事に侍るべき由、定信朝臣の含に協ひて、御旗本の面々大身小身によらず乳あるものお求められけり、御目付の中にも、間宮信好〈諸左衛門后筑前守〉が娘と翁〈○森山孝盛〉が娘と、共頃安産して相応なりければ、御吟味に加りけり、間宮は矢部と何やらん内談して、彼娘は御目見計にて被省けるが、翁は日頃はからざる短才の某、かヽる重任お蒙りて、君恩可措所なし、何哉粉骨して聊も報ひ奉るべきと思ひ居たる上に、曾我助造〈伊賀守、于時御留守居大奥御取締の懸り〉の哲人にて、定信朝臣の旨お懐て、女中の取締おとヽのへらるヽ頃成に、翁が娘の乳あるこそ幸なれば、涯分御用に出し給へ、左もあるに於ては、彼扱ひに甚便りあり、足下の娘お入置て、内弊行届きがたき所も知べく、万づ御為にも成べき工夫少からざる間、曲て御乳に出さるべしとて、翁と度々密談あるにより、盛年も進まず娘はなほいぶりたれど、よく〳〵教訓して、幸に乳もよかりければ、御乳に出したり、是ぞ翁がせめての忠志とも思ひ居たりしに、朝夕のあつかひ、前に記すごとくなれば、やはかこらふべき、様々の心づかひにやつれて、忽乳も細く成たる上、四五日ありて、孝順君なくならせ給ひければ、翁が寸志空しくなりて、娘も宿へ下りぬ、