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嬉遊笑覧
一下/容儀
游侠お好む悪少輩、文身すること、事物紀原に、今世俗、皆文身、作魚竜、飛仙.鬼神等像、或為花卉、文字、旧雲、起於周太王之子呉太伯雲々、史記越世家言、夏后帝少康之庶子、封於会稽、文身断髪、披草莱而邑、証此則是茲事為始於帝少康之子、因知文身断髪之為呉越之俗也旧矣、また高士奇澹人が天禄識余に、唐之中葉、長安惡少、多以詩句鑱涅肌膚、誇詭力剛、坊閭遠近効之成習、後皆為薜京兆元賞杖殺、更有取名賢詩中意、細刺樹木人物至有周身用白楽天詩意、刺涅人呼為白舎人行詩円者、雑俎統名之曰札青雲、こヽには天正文禄の頃、異様の出立する惡徒も多かりしかど.文身のさたも聞えず、其後種々の侠客有しも、猶その事見えざれば、専ら行はれしは、いと近ぎことヽみゆ、関東侠客伝に、浅草神田川に、鐘弥左衛門といへる者、極めて立涙なる男の、其頃までは入ぼくろ大きなるは珍らしかりけるに、横筋かひに肩より南無阿弥陀仏と大文字に彫付たりと〈其頃浅草御蔵前に、永野七郎兵衛と雲る名主、異名お釣鐘といはれしが、此船頭弥左衛門に鐘といふ異名おゆづりたりとぞ、〉是延宝天和の頃なり、かばかりなるお大きなることヽしたり、其他あまたの男立ども文身のこと聞えず、いと〳〵希なるお知るべし、其後宝暦年間、浮世草子などに、入ぼくろする処おかけるもあり、また日雇とりなど肌ぬぎたる図にほりもの有り、其文は一心といふ字、或は渦まき抔にて、手のこみたるはなし、肌も見えざる程、こと〴〵しき絵おほるといふは、近時の事なり、