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太平記

主上上皇御沈落事
援に備前国の住人中吉弥八〈○中略〉棟梁と見へたる敵に馳並べてむずと組、馬二匹が間へどうと落て、四五丈計高き片岸の上より、上に成下に成ころびけるが、共に組も放れずして、深田の中へころび落にけり、中吉下に成り、挙様に一刀さヽんとて、腰刀お捜りけるに、ころぶ時抜てや失たりけん、鞘計有て刀はなし、上なる敵中吉が胸板の上に乗懸て、鬢の髪お〓て頸お掻んとしける処に、中吉刀加へて、敵の小腕お丁と掬りすくめて、暫く聞給へ、可申事あり、御辺今は我おな恐給ふそ、刀があらばこそ刎返して勝負おもせめ、又続く御方なければ落重て、我お助る人もあらじ、されば御辺の手に懸て、頸お取て被出さたりとも、曾実撿にも及まじ、高名にも成まじ、我は六波羅殿の御雑色に、六郎太郎と雲者にて候へば、見知ぬ人も候まじ、無用の下部の首取て、罪お作り給はんより、我命お助てたび候へ、其悦には六波羅殿の銭お隠して六千貫被埋たる所 お知て候へば、手引申て御辺に所得せさせ奉んと雲ければ、誠とや思けん、抜たる刀お鞘にさし、下なる中吉お引起して、命お助るのみならず、様々の引出物おし酒なんどお鸛て、京へ連て上りたれば、弥八六波羅の焼跡へ行、正しく此に被れ埋たりし物お、早人が掘て取たりけるぞや、徳つけ奉んと思たれば、耳のびくが薄く坐しける(○○○○○○○○○○○)と欺て、空笑してこそ返しけれ、中吉が謀に道開けて、主上其日は篠原の宿に薯せ給ふ、